アカウント名:
パスワード:
歩道での歩行者と歩行者の衝突は、・2人とも避けない場合・2人が同時に避けた場合のどちらか一方で起こることが多いです。
仮に歩きスマホをしている人が避けない人だとするならば、もう一方が避ければ衝突は起こりません。自分が自ら避ける人にとっては、同じタイミングで避けることがないため、むしろ相手が避けない人だと分かった方が追突の危険がないのです。歩きスマホと追突事故が起こる原因は、「歩きスマホしている人のために自分が避けるのが嫌だ」と同じ進路を歩き続けることによって発生するといえるでしょう。
なお、歩きスマホをしていなくても、自分からは避
> # 歩道のない道路では、歩行者は「道路の右側」を歩くことになっています
小中学校の頃、なんで皆「交通ルール」を守らないのだろうと思っていた。利便性の優先・手間の忌避が、それなりに妥当性のあるルールを排除ないし無効化してしまった、ということだろうかな。細かなルールを厳密に守ることでかえって危険を呼ぶ場合も少なくない(結構ある)という事も子供ながらに徐々に感得し、早々にまあしょうがないかとは思ったけれども。
あとは、日常を硬直化させたくない、臨機応変/曖昧/泥縄/ファジーに対処すれば良い(その方が良い)という視座も理解できる。
自分としては、・ 避けない主義・ 非対称の対応を時間の浪費、不平等などと捉えることの2つが既にアホかという感じなのだがしかしそれも私の価値観でしかなくて、そう考える人がそれなりの数いるであろうという前提は大事だと思う。(月並)
いやあ同意できないなまそんな人もいるんだろうけどストレスすごそうだなお自分は認識してたらへろっと避けるが、考え事してたりすると前見えない質なのでぶつかる回数はそこそこかも
理解できます。たぶんですが、避ける側が格下、みたいな感覚ですよね?
理解できないのは、なんで(他者への対応において)そんな幼稚な思考を大の大人が持てるのか。いや、そりゃあ多種多様な生い立ちを持つたくさんの人が居るわけですからそういった価値観が形成されることも当然と捉えるべきなんですけど・・・でもそれが大手を振ってまかり通るような、ある程度の共通認識とされていたり、そこらのフツーの社会人が「分かる、ソウダヨネー」と言ったりするような社会は嫌だなあと。現実って、そうなんですかね?
わかっているとおり、そういう人がいるのは当然です。注意しましょう。
あなたは大人になって(たいていは)「成長する」と思っているのかもしれませんが、成長するにしたがってあなたのまわりからそのような人たちがいなくなっただけです。
自分も含めて、みんな中学生のときと変わったりしないんですよ。その手の人が、どれくらいの比率でいたか考えよう。社会はそういう人たちでできています。
私立中学とか行ってた人には、この言い方だと通じないかもしれないな。
なるほどなー、確かに、自分に残る幼稚さにガッカリさせられること、あります。そういう大人になるまで残ってるダメな部分、大人として振る舞えるよう成長できたと思える部分、それぞれについて人それぞれ。しかも自覚できるとは限らない。そう考えれば、おっしゃるとおり当然です。得心いきました。
「その手の人」は、これまであまり身近には居たことない気がします。(鈍感だからかも。)中学生の頃いわゆる不良ちゃんの下っ端に、肩で風切って歩きたがるのが少数いたかな。ここ数年だと、バスでチンピラ風会社員の割り込みを阻止したら小学生みたいな理屈でネチネチ絡まれたのと、父親が細い道でデカい車に乗った爺様に道を譲れと喚かれたことくらい。バスのはちょっと違うか。
こちらに避けるスペースがなくてもかたくなに避けない人がいるけど(なのでわざわざ進路をクロスさせて避ける必要がある)、そういう人ってそういう考えの元行動してるのか何に怯えてるんだろう…なんだか不憫
上下でみたいのならせめて「弱者(敗者)にやさしいオレ様」とか考えてくれればいいけど、そんな心の余裕はないか
同意です。少なくとも、歩道のない道路で右端を歩いている時に、向こうから(道路の左端を)歩いてくる人に譲る理由はありません。しかし何故か道交法違反をしている人に限って譲る気がなく、悪態をついたりするので困ったものです。
私みたいに・サングラス(アレルギー対策)・髭(無くなってゆく頭髪の埋め合わせ)・5分刈り(無くなってゆく頭髪の印象を薄めるため)を装備しておくと皆さん何となく避けてくれます。
道路交通法第百八条を根拠とする 「交通の方法に関する教則」(国家公安委員会告示第三号) [npa.go.jp]
2 道路を通行するときの心構え道路を通行するときは、決められた交通規則を守ることはもちろん、それ以外にも、道路や交通の状況に応じて、個々に細かい配慮をしなければなりません。ほかの人々が安全に通行できるように配慮することは、運転者や歩行者としての社会的責任でもあります。道路を通行するときには、次のような心構えを忘れないようにしましよう。(1) 周りの歩行者や車の
上下関係どうこうってより、スマホに夢中で前を一切見ずに突進してくるバカに、なんで自分が道を譲らにゃならんのかという理不尽さと、こういうバカにはヒヤッとする思いをさせて判らせた方がいいという正義感?から、相手がこちらに気づくまではギリギリまで避けないようにしてる。
そのうち相手に殴りかかりそうな正義感ですね
高速道路を逆走してくるバカにも譲らず正対していただきたい
なんか、アメリカ海軍と灯台のコピペを思い出させる対応ですねw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AF%E5%8F%B0%E3%81%A8%E8%BB%8D%E8%... [wikipedia.org]
避けるということは相手に「自分をあなたより軽く見てもらっていいですよ(馬鹿にしていいですよ)」と認めることだから、絶対に嫌だと言う気はする。
そういう人、実際にいそうですね。自分は逆で「いかにスマートに気を使えるか」という価値観に育ったので、相手も周りも気付かない様に対処します。避けるシチュエーションなら、相手が避ける必要性に気付かないよう、なんなら自分の後ろの人も無意識に誘導するような避け方をします。
飲みに行ったら「ここは自分が払うよ」的な、実際の自分が小者だから「大人物感」を演じているのかもしれませんが。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
そんなことより「右側通行」か「左側通行」を決めるべき (スコア:1, 興味深い)
歩道での歩行者と歩行者の衝突は、
・2人とも避けない場合
・2人が同時に避けた場合
のどちらか一方で起こることが多いです。
仮に歩きスマホをしている人が避けない人だとするならば、もう一方が避ければ衝突は起こりません。
自分が自ら避ける人にとっては、同じタイミングで避けることがないため、むしろ相手が避けない人だと分かった方が追突の危険がないのです。
歩きスマホと追突事故が起こる原因は、「歩きスマホしている人のために自分が避けるのが嫌だ」と同じ進路を歩き続けることによって発生するといえるでしょう。
なお、歩きスマホをしていなくても、自分からは避
Re: (スコア:1)
> # 歩道のない道路では、歩行者は「道路の右側」を歩くことになっています
小中学校の頃、なんで皆「交通ルール」を守らないのだろうと思っていた。
利便性の優先・手間の忌避が、それなりに妥当性のあるルールを排除ないし無効化してしまった、
ということだろうかな。
細かなルールを厳密に守ることでかえって危険を呼ぶ場合も少なくない(結構ある)という事も
子供ながらに徐々に感得し、早々にまあしょうがないかとは思ったけれども。
あとは、日常を硬直化させたくない、臨機応変/曖昧/泥縄/ファジーに対処すれば良い(その方が良い)
という視座も理解できる。
自分としては、
・ 避けない主義
・ 非対称の対応を時間の浪費、不平等などと捉えること
の2つが既にアホかという感じなのだがしかしそれも私の価値観でしかなくて、
そう考える人がそれなりの数いるであろうという前提は大事だと思う。(月並)
Re:そんなことより「右側通行」か「左側通行」を決めるべき (スコア:0)
絶対に嫌だと言う気はする。
Re:そんなことより「右側通行」か「左側通行」を決めるべき (スコア:2)
いやあ同意できないな
まそんな人もいるんだろうけどストレスすごそうだ
なお自分は認識してたらへろっと避けるが、
考え事してたりすると前見えない質なのでぶつかる回数はそこそこかも
Re:そんなことより「右側通行」か「左側通行」を決めるべき (スコア:1)
理解できます。たぶんですが、
避ける側が格下、みたいな感覚ですよね?
理解できないのは、なんで(他者への対応において)そんな幼稚な思考を大の大人が持てるのか。
いや、そりゃあ多種多様な生い立ちを持つたくさんの人が居るわけですから
そういった価値観が形成されることも当然と捉えるべきなんですけど・・・
でもそれが大手を振ってまかり通るような、ある程度の共通認識とされていたり、
そこらのフツーの社会人が「分かる、ソウダヨネー」と言ったりするような社会は嫌だなあと。
現実って、そうなんですかね?
Re:そんなことより「右側通行」か「左側通行」を決めるべき (スコア:1)
わかっているとおり、そういう人がいるのは当然です。注意しましょう。
あなたは大人になって(たいていは)「成長する」と思っているの
かもしれませんが、成長するにしたがってあなたのまわりからそのような
人たちがいなくなっただけです。
自分も含めて、みんな中学生のときと変わったりしないんですよ。
その手の人が、どれくらいの比率でいたか考えよう。
社会はそういう人たちでできています。
私立中学とか行ってた人には、この言い方だと通じないかもしれないな。
Re:そんなことより「右側通行」か「左側通行」を決めるべき (スコア:1)
なるほどなー、
確かに、自分に残る幼稚さにガッカリさせられること、あります。
そういう大人になるまで残ってるダメな部分、大人として振る舞えるよう成長できたと思える部分、
それぞれについて人それぞれ。しかも自覚できるとは限らない。
そう考えれば、おっしゃるとおり当然です。得心いきました。
「その手の人」は、これまであまり身近には居たことない気がします。(鈍感だからかも。)
中学生の頃いわゆる不良ちゃんの下っ端に、肩で風切って歩きたがるのが少数いたかな。
ここ数年だと、バスでチンピラ風会社員の割り込みを阻止したら小学生みたいな理屈でネチネチ絡まれたのと、
父親が細い道でデカい車に乗った爺様に道を譲れと喚かれたことくらい。
バスのはちょっと違うか。
Re: (スコア:0)
こちらに避けるスペースがなくてもかたくなに避けない人がいるけど(なのでわざわざ進路をクロスさせて避ける必要がある)、そういう人ってそういう考えの元行動してるのか
何に怯えてるんだろう…なんだか不憫
上下でみたいのならせめて「弱者(敗者)にやさしいオレ様」とか考えてくれればいいけど、そんな心の余裕はないか
Re: (スコア:0)
同意です。
少なくとも、歩道のない道路で右端を歩いている時に、向こうから(道路の左端を)歩いてくる人に譲る理由はありません。
しかし何故か道交法違反をしている人に限って譲る気がなく、悪態をついたりするので困ったものです。
Re: (スコア:0)
私みたいに
・サングラス(アレルギー対策)
・髭(無くなってゆく頭髪の埋め合わせ)
・5分刈り(無くなってゆく頭髪の印象を薄めるため)
を装備しておくと皆さん何となく避けてくれます。
Re: (スコア:0)
道路交通法第百八条を根拠とする 「交通の方法に関する教則」(国家公安委員会告示第三号) [npa.go.jp]
2 道路を通行するときの心構え
道路を通行するときは、決められた交通規則を守ることはもちろん、それ以外にも、道路や交通の状況に応じて、個々に細かい配慮をしなければなりません。ほかの人々が安全に通行できるように配慮することは、運転者や歩行者としての社会的責任でもあります。道路を通行するときには、次のような心構えを忘れないようにしましよう。
(1) 周りの歩行者や車の
Re: (スコア:0)
上下関係どうこうってより、スマホに夢中で前を一切見ずに突進してくるバカに、なんで自分が道を譲らにゃならんのかという理不尽さと、こういうバカにはヒヤッとする思いをさせて判らせた方がいいという正義感?から、相手がこちらに気づくまではギリギリまで避けないようにしてる。
Re: (スコア:0)
そのうち相手に殴りかかりそうな正義感ですね
Re: (スコア:0)
高速道路を逆走してくるバカにも譲らず正対していただきたい
Re: (スコア:0)
なんか、アメリカ海軍と灯台のコピペを思い出させる対応ですねw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AF%E5%8F%B0%E3%81%A8%E8%BB%8D%E8%... [wikipedia.org]
Re: (スコア:0)
避けるということは相手に「自分をあなたより軽く見てもらっていいですよ(馬鹿にしていいですよ)」と認めることだから、
絶対に嫌だと言う気はする。
そういう人、実際にいそうですね。
自分は逆で「いかにスマートに気を使えるか」という価値観に育ったので、相手も周りも気付かない様に対処します。
避けるシチュエーションなら、相手が避ける必要性に気付かないよう、なんなら自分の後ろの人も無意識に誘導するような避け方をします。
飲みに行ったら「ここは自分が払うよ」的な、実際の自分が小者だから「大人物感」を演じているのかもしれませんが。